何故「この恋と、その未来。」は打ち切られてしまったのか? (作家サイドでの落ち度について)
まず初めに。
本記事では、先日打ち切りが決定した
ファミ通文庫「この恋と、その未来。」がどのような経緯を至り、打ち切りになってしまったのか?
という悲劇が繰り返されないために、あらゆる角度から作品がどのような経緯を辿ったのかを記録したいと思い書き起こしたものです。
私個人の主観も多少含まれますが、記憶や情報媒体による可能な限り客観的な視点に重きを置き記事にしたいと思います。
当然ですが、尊敬する「森橋ビンゴ」先生を貶したり乏しめる気は一切ございません。
しかし、私は東雲信者です。
信仰対象をただただ崇めるだけの愚鈍なる盲信者のつもりではありません。
先生の良い部分も悪い部分もすべて理解したうえで、「東雲信者」を名乗っているつもりであります。
あらかじめ、ご了承くださいませ。
さて前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。
1.何故「この恋と、その未来。」は打ち切られてしまったのか?
「2015年度このラノ」ベスト10にランクインし、「2016年度このラノ」ではベスト10を逃したものの20位以内には入閣していた「この恋」シリーズ。
何故高く評価されていたこの作品が打ち切られてしまったのか?
多くの理由が挙げられております。
「売り上げが悪かった(森橋先生のコメントより)」
「作風受けが悪かった(ラノベ向けではないという評価)」
が挙げられております。
前者の理由は後者に起因しますが、「王道青春ストーリー」と「邪道青春ストーリー」
どちらが一般的に受けがいいか?という話です。(あえてこのような表現を採用しております)
そりゃ当然ですが、一途な少年少女の物語と人間関係ドロドロの愛憎塗れた物語。
どっちを大衆は望みますかって話ですね。
もちろん、「この恋」シリーズの本質は誰もが好きな「青春ラブコメディ」です。
しかし、出版業界もボランティアではありません。
如何に商品が評価されていようとも、売り上げを出せない商品を生産し続けることは困難な時代を迎えております。
この問題については、別所で触れようと思いますが、売り上げが悪い故に打ち切られた。
そして、その原因の一角に「大衆向け」ではなかったというのも、我々が避けてはいけない事実であるのは違いありません。
では原因はそれだけだったのか?
私は、次の2つが更なる原因であると考えております。
2.発刊ペースの問題
関連記事
こちらの記事には、以前私が森橋作品、すなわち
「東雲侑子」シリーズ
「この恋と、その未来。」シリーズ
がどのような歴史を歩んだかが記録されております。
注目して欲しいのは、「この恋」シリーズの発刊ペースです。
割愛しますが。
1巻「一年目 春」 2014年6月30日発売
2巻「一年目 夏秋」 2014年11月29日発売
3巻「一年目 冬」 2015年5月30日発売
4巻「二年目 春夏」 2015年10月30日発売
5巻「二年目 秋冬」 2015年5月30日発売←打ち切り決定
となっております。
お気づきの方もいるかと思いますが、一般的なラノベに比べ
発刊ペースが遅いというのがお分かりでしょうか?
一般的なライトノベルの発刊ペースが3~4か月に1冊。
年間にして3~4冊ペースとなります。
しかし、「この恋」シリーズはそれらと比べると半分程になっております。
常に読者は新刊を求めております。
一部の大人気作家を除き、発行ペースが遅い作者は話題が薄くなりがちな傾向にあります。
特に、「このラノ」上位陣はアニメ化やコミカライズに加え、原作も安定して刊行されている。
「この恋」シリーズもそうした作品に比べると、安定して新作の話題を提供できなかった。
これが、今回のような結末に至った要因の大きなひとつであると私は考えております。
ただ、作品を早く提供すればいいという単純な問題でもないわけでして、しっかりとした内容に落とし込むための期間という意味では遅筆でも大して問題ないと思っております。
現に、「2015年度このラノ」選出期間においてアンケート対象は1巻の「一年目 春」のみでした。
他作品が、複数巻を考慮しての順位に対して、前作「東雲侑子」シリーズの前評判と1巻のみであの順位を勝ち取った「この恋と、その未来。」に対して私の口からこれ以上の「たられば」論は無粋であります。
発刊ペースも話題を提供するという一面では必要であった、そのように考察している。
という形で本項を締めたいと思います。
3.作品をうまくまとめれなかった。
「この恋」シリーズは前作「東雲侑子」と違い、作品展開が安易に予想できない作品でありました。
他作品でいうなら、この主人公はこのヒロインとくっつく等のような大まかな予想が本作品では出来ませんでした。
そこが、今作品の最大の魅力であると私は考えておりますが一般層ではどうでしょうか?
大して売れてない作品が、他の大手作品のように予想もつかない展開を紡ぎ読者を惑わせる。
前作「東雲侑子」シリーズはそういう観点から言えば至ってシンプルなもので。
主人公がヒロイン「東雲侑子」に惹かれていく様を描いた作品です。
今作は執筆当初から続編を出すことを想定した作風であるため、前作と違って長ったらしく感じてしまった。
一区切りと言う段階でも、問題を抱えながら次に続くという展開である以上歯切れが悪いとも言えます。
したがって、今回「この恋」シリーズが打ち切られてしまったのは。
「シリーズの売り上げが悪かった」
その要因は
「この作品が読者を選ぶ作品であったため」
「作品の話題性はあったものの瞬間的であったため」
「作品展開上とはいえ、打ち切るまでに展開をまとめきれなかったため」
という作者の実力不足も今作品の顛末の一端であると思います。
という事なんで、とりあえず、ファミ通文庫さんを悪く言うのはやめてネ。あと、駄目ライトノベル作家で、ほんま、すんませんな。
— 森橋ビンゴ (@Morihashi) 2016年5月30日
上述を踏まえたうえで最後に私の自論で、本記事をまとめさせていただきたいと思います。
作品の話題性や、読者層が求めている作品を提供できなかった
この二つが上述の要約です。
しかし、創作活動は難しいものです。
最高の作品を産み出すのが作者の責務だとすれば、世に広めるのが出版社の責務です。
世が求めてる作品を提供できなかったのも、確かに反省すべき点ではあります。
しかし、皆様本当にそれが正しいのでしょうか?
創作活動において、市場の求める作品を提供するのも確かに重要です。
それが蔓延ればどうなるのか?どこかでみたストーリー展開、聞いた声や似たようなキャラクター、そして日替わりで使い捨てられる作品達・・・
本当にそれでいいのでしょうか?作品達は生きています。
好みや流行は常々変わります。
それを批判する気はさらさらありません。
ですが、作品それぞれの個性があるからこそ我々読者は本の海を漂い、千載一遇・一期一会を経てそれぞれに合った作品を手にします。
流されるなとは言いません、皆様の好みを否定する気は毛頭ございません。
どうか、これだけは忘れないでください。
産み出した作品をしっかりと読むのは我々読者の責務です。
その産み出された作品を守るのもまた、我々の責務なのです。
何度も言います、好きなものは好きと言おう!
東雲信者でした。
好きな作品が打ち切られないために読者が出来ること(買え!読め!言え!)
東雲信者です。
今回は、過去にも言ったかもしれません
「どうやったら好きな作品を守れるのか?」
「打ち切られないために出来ることはないのか?」
という観点から皆様に声を大にして言いたいと思います
やることはいたって簡単で、キーワードは
「買え!読め!言え!」
の3つです。
ただし、どこかの信者みたいに100冊以上買う必要はありません。(あれはわたs・・・狂人は一人のみで十分)
1.「買え!」
当然ですが、出版物は皆様読者が買って頂くことによって出版社並びに著者に収入が入ります。
肝心なのは、買うタイミング。
一般的に新刊が出たタイミングが読者側・出版側、双方注目している時期になります。
つまり、
「我々読者が一番出版物に対して関与できる期間」
それが、発売直後なのです。
読者側は当然ですが、新規開拓や読者同士の共有で動きます。
特に、本を愛読する人間は話題作に触れる機会を求めている。
このタイミングを逃す手はないでしょう?
さらに、出版社的な視点で言えば
初動の売り上げがいい→続編を出しても利益が見込める
という判断で動くので、初動のタイミングで動くのが大事なのです。
当たり前な話ですが、過去作品が急に話題になるのはほとんどないので出た直後に買う。
これが非常に重要です。
2.「読め!」
さて買って頂いた新刊。
皆様はどうされているでしょうか?
ひょっとして、買って満足して積んでませんか?
買ったはいいが、読むのが遅れてしまった。
これでは意味がありません。
確かに、利益と言う観点から見れば既に皆様は出版社に対して大きく貢献していると言えます。
しかし、出版社は利益もそうですが、多くの場合感想を求めています。
当然ですが、面白いや続きが気になるなどの感想が上がれば続編を出そうかという動きにも繋がります。
つまり、
「刊行直後に読むことで、間接的に作品の話題を提供できる」
ということです。
これは、次の3.の項目に繋がりますが、買ったものを読むことは非常に重要です。
先述したとおり、出版業界の作品への関心は刊行直後がメインです。
その注目期間内に、読了することが作品を長く続けて頂く大きな要因ともいえます。
3.「言え!」
これは、何を言うのか?
ずばり、本の「感想」です。
今や、インターネットとSNSの普及により新刊の感想や内容(ネタバレ)などは以前に比べ容易になりました。
ブログ・Twitter・Facebook等の有効活用が必要不可欠と言えます。
読者がアンケートに答えるだけの時代から、
「読者自身が作品を普及する」
読者が直接著者へ作品の感想を伝える、作品の話題を読者自身が創る。
一昔前では考えられなかった時代が今現実となっています。
発信方法は人それぞれです。
その中でも私が強く推したいのは、公式アンケートの回答とファンレターです。
上述の通り、作品の良さを発信する機会は容易になりました。
しかし、だからこそファンレターや公式への回答は貴重になりつつあります。
貴重だからこそ、その重みを出版業界の人間は重々認知しているのです。
好きな作品だからこそ、きちんと文をしたためる。
その為に、出来ることは?
簡単です。葉書一枚買って感想書いて投函するだけなんです。
わずか100円にも満たない投資で、好きな作品を守れるかもしれないのです。
投稿は形に残らない、形に残る感想って重要なんだよ!
だから出版社って未だに、最後のあとがきで
「○○先生にファンレターを!」
とか言いやがるんだよ、あいつら新時代とかぬかしなが
らやってることはレトロな旧時代の思考概念なんだよ!
だから最後にもう一回言うよ?
「買え!読め!言え!」
関連記事
この記事書いたときは、まさか打ち切れるなんて思ってなかったな・・・
今となっては、後の祭りだけどね・・・
「この恋と、その未来。」の最終巻について思うこと
先日は拙い記事を読んで頂きありがとうございました。
どうも、東雲信者です。
色々書きたいことが多すぎて言葉に出来てないけど、少しずつでも言葉に記せたらと思っております。
関連記事
ありがたいことに、読んで評価をしてくれる人がいる。
これってすごくありがたいし、今回の騒動で同じ気持ちの人がいるってことだよね。
その声をうまく形に出来たらと思っている。
ファミ通文庫での刊行が非常に厳しい道のりであったとしても、それを成し遂げたいとは強く思っているわけでして。
その為に出来ることってやはり周知してもらうことだと思うんだよ。
周りにここにいるってアピールしないと、だれも見向きもしないわけでして。
当然、時間も経てば忘れ去られてしまう。
それが嫌だから、抗っているんだけどね。
これがなかなか難しい。
刊行するために出来ることってなんだろうか。
私が望む未来は、前回の記事でも述べたけど、ファミ通文庫で最終巻が出ること。
そのために署名活動とかするべきなんじゃないかな?
その為の方法についてすこし調べてみます。
というわけで、皆様に宣言します。
署名活動の場を設ける際は必ずお伝えします。
その為に、私は前線に立って皆様の意思をお伝えすることをここにお約束します。
最後は私の好きな言葉で締めようかと思います。
「奇跡は起こるんじゃねぇ、人が起こすもんだ」
「この恋と、その未来。」 の行末と、その未来。 (いつかの未来へ)
継続は力なり。
打ち切られて話題になったけれども、一週間が経ち段々と話題性がなくなってきたように感じる。
当然、次から次へと新作や新しいジャンルが登場するわけだし仕方ないと言えば仕方ない話でして。
ただ、それでもやれることはやろうと思う。
この記事では、ネタバレも感想も何もありません。
東雲信者を名乗る自分が、いつか来るであろう未来に向けた手紙のようなものです。
そして、これを読んで頂いた皆様への宣誓の証でもあります。
ただ「この恋と、その未来。」に関しては「最後のライトノベル」として書き出しただけに、中途半端にしたくなかったんで、最終巻にあたるテキストはいずれ何らかの形で発表はします。
— 森橋ビンゴ (@Morihashi) 2016年5月29日
森橋先生は先日、このように仰られております。
つまり、ある意味「この恋と、その未来。」という作品の完結を約束されているということであります。
しかし、はたしてただ待つだけで徒に時が過ぎるのを、来たるべき未来をただただ待ち続けるだけでよろしいのでしょうか?
森橋先生を信じて待つ、それはとても素晴らしいことです。
作品の完結を心待ちにする、それこそ好きな作品を愛する人にしか出来ませんし待つこともなかなか大変なことです。
待つということは、言い換えれば「何もしない」という選択肢を選択することでもあるのです。
これで皆様はよろしいのでしょうか?
ただ待つだけでは、無情に打ち切られる。
ただ待つだけでは、何も叶えてくれない。
ただ待つだけでは、未来を勝ち取れない。
我々読者が何を出来るのか?
それは、人それぞれです。
買うことも、読むことも、評価することも、広めることも、薦めることも
無限の方法がこの世界にはあります。
「この恋と、その未来。」の完結は約束されていますが、何が起こるかわかりません。
もし森橋先生が亡くなってしまったら?
もし出版社が無くなってしまったら?
もし読者自身が亡くなってしまったら?
私には夢があります。
それはファミ通文庫様から
森橋ビンゴ先生と、Nardack先生のコンビで最終巻となる
「この恋と、その未来。 -三年目 春-」(仮)
を出版して頂き、それを読むことです。
その為に、数多くの困難があることも知っています。
打ち切られてしまった作品が復活することの難しさを、この世界がどれだけ無情で厳しい世界であることも。
しかし、私はそれと同時に知っていることがあります。
不可能とされる偉業を実現してきた「読者」の願いを。
非常で残酷な運命に抗い戦い続けた「読者」の奮闘を。
好きな作品を愛する作品を唱え続けた「読者」の声を。
皆さんで、未来を迎えに行きませんか?
その為に私は模索し続けております。
一人では何も出来ない、どこにでもいるただの「一読者」です。
そして、来るであろういつかの「未来」を最高の形にしましょう。
このブログと、その未来。- 一年目 春夏-
好きな作品が打ち切られてしまいました。
皆様どうも東雲信者です。
関連記事
この記事でも申し上げましたが、私の初志は「好きなものを好きという」ということです。
そのコンセプトの元、このブログは存在致します。
無論、それは「この恋と、その未来。」シリーズが打ち切られてしまっても変わらないわけでして。
当然ですが、打ち切られて言いたいことも不満も憤りも山ほどあります。
しかし、それはこの場を使って叫ぶことでしょうか?
私の尊敬する「森橋ビンゴ」先生は次のように仰られております。
という事なんで、とりあえず、ファミ通文庫さんを悪く言うのはやめてネ。あと、駄目ライトノベル作家で、ほんま、すんませんな。
— 森橋ビンゴ (@Morihashi) 2016年5月30日
単純に出版社を非難するだけなら、誰でも出来ます。
しかし、それは私が大好きな作品を生み出し続けた先生を苦しめることとなります。
それだけは今後も極力避けたいと強く思っております。
何が出来て、どうすれば良かったのか?
それを踏まえたうえで今後は、過去を振り返り来るべき私たちの望む「未来」を迎えたいと考えております。
ただ、先に申し上げておきます。
一度だけこの場で申したい場を設けさせていただきたいと考えております。
あらかじめご了承くださいませ。
「この恋と、その未来。」が生きてきた軌跡を忘れぬよう・・・
未来の話をしよう(好きな作品をお持ちの皆様へ)
まず初めに。
この記事では、性同一性障害という病気についてのお話をします。
それは、先日話題にもなった「この恋と、その未来。」という作品に大きく関係するからでございます。
そして、この記事を書く人間はどこにでもいる唯の一読者ですし、性同一性障害について専門知識があるわけでもありません。
一般人が自分なりに性同一性障害という問題について考え、私個人の考えを述べたものです。
故にこの病気で本当に悩んでいる人間を、意識していないうちに傷付けてしまう恐れがあります。
予めご了承ください、本来であればこの問題をしっかりと理解したうえで話すべきですが時間が足りません。
それでは前置きが長くなりましたが、本記事に入ろうかと思います。
続きを読む未来の為に (ライトノベルを愛する全ての皆様へ)
どうも、東雲信者を名乗っている者です。
この度、皆様ご存知かもしれませんがファミ通文庫様より刊行されていた森橋ビンゴ先生の作品「この恋と、その未来。」が打ち切りとなってしまいました。
この事態に関して私が言いたいことは山ほどありますが、それも踏まえたうえで私からライトノベルというジャンルを愛している皆様にお伝えせねばならないことがございます。
本作品は、「性同一性障害」という分野を盛り込んだ作品でありました。
故に、読者層が限られてしまった、それが原因で打ち切られてしまったというのが世間一般の風潮であります。
確かに、この作品は主人公が性同一性障害の女性(男性)に惹かれていくという、はたから見れば特殊な作品といえるでしょう。
しかし、皆様この作品の本質について目を向けたことがあるでしょうか?
この作品では、主人公が女性だけれども男性である人間に惹かれていく物語です。
古今東西これまで、男だと思っていた人間が実は女性であった、そういった展開は古くから使い古されてきた王道の作品なのです。
さらに言うと、男性を好きになるという特殊な状況ですが、
過去の有名作品では、恋人同士の仲である女性に惹かれる、人妻に惹かれるといった相手がいる状況で人を好きになる特殊な状況での作品は数多くございます。
その中で、本作「この恋」シリーズは異端児であったのか?
それを皆様に問いたいわけです。
この作品の根本的なメッセージは
「人が人のことを好きになることのむずかしさ」
「好きになるということの尊さ」
であると私は考えております。
皆様はどうお考えでしょうか?
「この恋」は確かに「性同一性障害」を描いた特殊な物語であります。
しかし、その本質は他の作品と同じである「青春ラブコメディ」であり、「人が人を好きになる」どこにでもある恋愛作品なのです。
どうかもう一度この作品に目を向けてはいただけないでしょうか?
この作品を安易に「性同一性障害」というジャンルに当てはめてしまうのは、他作品を陰で乏しめていることに繋がっているのだと私は考えております。
そしてなにより、この作品はライトノベルを愛した皆様から高く評価されていた作品でもあります。
そんな作品が今回このような「打ち切り」という事態に至ってしまった。
それはすなわち、皆様の好きな作品が次いつこのような局面に対峙するかもしれないという問題にもつながると言うことです。
私はこの作品たちしか見てこなかった、非常に視野の狭い人間です。
ですが、このような事態に、こんな悲劇に合うのは私一人で十分なのです。
どうか、皆様の愛した作品を、好きな作品を好きというためにもう一度考えてみてください。
終わりを迎える瞬間はあっという間です。
一瞬で終わるのです。
話題が小さくなれば、人は忘れてしまいます。
どうか「この恋と、その未来。」という作品が、「青春ラブコメディ」がこの先未来永劫愛されるために、どうかもう一度この作品が至った末路の行く末を考え直してください。
たとえその気持ちが何万回裏切られようとも・・・
それが私、東雲信者の最期の願いであります。