未来の話をしよう(好きな作品をお持ちの皆様へ)
まず初めに。
この記事では、性同一性障害という病気についてのお話をします。
それは、先日話題にもなった「この恋と、その未来。」という作品に大きく関係するからでございます。
そして、この記事を書く人間はどこにでもいる唯の一読者ですし、性同一性障害について専門知識があるわけでもありません。
一般人が自分なりに性同一性障害という問題について考え、私個人の考えを述べたものです。
故にこの病気で本当に悩んでいる人間を、意識していないうちに傷付けてしまう恐れがあります。
予めご了承ください、本来であればこの問題をしっかりと理解したうえで話すべきですが時間が足りません。
それでは前置きが長くなりましたが、本記事に入ろうかと思います。
皆様は性同一性障害という病気をご存知でしょうか?
先日打ち切りになってしまったファミ通文庫様より刊行されてきた
「この恋と、その未来。」では
主人公「松永四郎」が身体は「女性」、心は「男性」という「織田未来」という人間に出会って奇妙な同居生活が始まるところから物語は進みます。
この作品が、何故打ち切られてしまったのか?
多くの読者の回答は、
「作品展開が重い」、「性同一性障害という難しいテーマを取り扱ったから」
つまるところ、読者受けの悪い作品を手掛けたから打ち切られたというのが一般的な回答であります。
しかし、私は本作品が打ち切られたのはそれとは別の大きな原因があると考えております。
その為には、皆様に性同一性障害という病気について知って頂けなければなりません。
一般的に性同一性障害という病気について皆様どれだけご存知でしょうか?
多くの方の場合、なんとなく心と身体の性別の不一致による障害というのが大衆の認識であるように感じられます。
私もその程度の知識しかありませんので。
では、それらを踏まえたうえで話を進めます。
「性同一性障害」という言葉についてです。
この言葉が一般的に広く認知されるきっかけを皆様ご存知でしょうか?
ある世代において、この言葉
「性同一性障害」=「ある人物」
というほどまでに広く認知されるようになったきっかけの作品があります。
そう「金八先生」です。
TVドラマ「3年B組金八先生」
学園ドラマの金字塔にして、ある特定の世代及び世間に広く「性同一性障害」という病気を知らしめた作品です。
このドラマでは、その時代毎の若者や社会の問題をテーマに描いており、
「性同一性障害」、「いじめ」、「学内暴力」、「学級崩壊」、「薬物依存」、「家庭内暴力」等々の、その時代の社会が抱える問題とそれに直面する若者、それを導く教員や家族、学生を描いた作品であります。
この作品で一躍有名となった女優「上戸彩」=「ナオ(本作で登場する性同一性障害の男男子生徒(身体は女子))」
というイメージを未だ持っている方も少なくないと思います。
では、「金八先生」は「性同一性障害」を描いたドラマだったのか?
皆様に問いたいのはこの質問です。
多くの場合、「違います」という回答が返ってくるでしょう。
何故なら、「金八先生」は「学園生活」を描いた「学園ドラマ」だからです。
では前述の「この恋と、その未来。」はいかがでしょうか?
同じ「性同一性障害」というテーマを描いたのに、
前者は「この恋と、その未来。」≠「青春ラブコメディ」
後者は「3年B組金八先生」=「学園ドラマ」
この違いについてです。
金八先生では、若者が抱える悩みは千差万別であり、その時代時代によって異なる。
その時代背景に翻弄されながらも、常に悩み続ける若者の葛藤と成長を描いた「青春」という貴重な時間を描いた作品です。
この恋も本質的な部分は一緒なのです。
「人が人を好きになることのむずかしさ」というありふれたどこにでもある、ただの高校生が一人の人間を好きになる、そんな普通の物語なのです。
その相手がたまたま「性同一性障害」という特別な病気の人間だった。
ただ、それだけなのです。
皆様は、この作品を本質的な部分で対峙してきましたか?
「性同一性障害」という色眼鏡だけで本質を、「人が人を好きになる恋愛の素晴らしさ」というありふれた感情をないがしろにしてませんか?
不人気な作品が打ち切られた。
結果から申し上げればその一言です、それにしても結論を安易に出してはいませんか?
今一度、この作品の本質的な部分を見直して頂ければ幸いです。
そして忘れないでください。
本作品は仮にも、ある一定層の読者から支持を受けていた作品であります。
それが打ち切られたという事実はすなわち、人気があっても利益重視の名目のもと打ち切られる可能性が十分にあるということです。
今一度、皆様の愛する作品を守るために、一人一人の未来を守るためにどうかこの問題について考えてみてください。
東雲信者より。
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